1958年生まれ。慶應義塾大学文学部教授。博士(教育学)。専門は教育心理学、行動遺伝学、進化教育学。著書に『心はどのように遺伝するか ―双生児が語る新しい遺伝観』(講談社ブルーバックス)、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(SB新書)、『なぜヒトは学ぶのか 教育を生物学的に考える』(講談社現代新書)など多数。
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学校・まなび
年長 2019年3月6日の記事
勉強やスポーツの得意・不得意。どこまでが遺伝する?
行動遺伝学の先生が教える「学び」の意味【第1回】
「遺伝の影響」と聞くと何を想像するでしょうか? 勉強やスポーツの出来・不出来を遺伝の影響と考える方もいるかもしれませんが、はたして実際はどうなのでしょうか…? 行動遺伝学・教育心理学を専門とされている安藤寿康先生に伺う当連載。第1回はずばり「能力はどこまで遺伝の影響を受けるか」についてです。
●人の特徴の5割は遺伝! 努力次第なのは2割程度…?
先生が専門とされている「行動遺伝学」は、行動に及ぼす遺伝と環境の影響について研究する学問ですよね。特に安藤先生は、双子の研究を通じて、個人の性質のうち何が遺伝に起因し、何が後天的に身に付くものなのかを検証されています。これは、子を持つ親としては非常に気になる話ですが、勉強やスポーツの得意・不得意は、やはり遺伝によるところが大きいのでしょうか…?
「行動遺伝学が明らかにしているのは、能力やパーソナリティーなど、あらゆる側面に遺伝の影響は存在するということです。たとえば、『私は音楽を聴くのが好き』『読書、特に推理小説が好き』などは一見、遺伝に関係ないことのように思えますが、そういった部分にも遺伝の影響が表れます」(安藤先生)
好き・嫌いといった好みにも、遺伝の影響があるというのは驚きです…! だとすると、例えば「国語は得意だけど、算数は苦手…」というのも、遺伝子レベルでの好き・嫌いが影響しているということでしょうか。
「そうですね。例えば学校の授業一つとっても、面白いと感じるポイント・興味を持てるポイントは一人一人で全く違いますよね。それが時として結果につながることがあると思います。
考えてみてください。あらゆる生物が遺伝子の産物です。人間も生物ですので、人間だけ遺伝子の影響を受けないといったことはあり得ません。一人一人が感じること、考えること、なすこと、そのすべてに遺伝の影響は入り込んでいます。
具体的な話をすると、人は遺伝の影響を50%程度受けると考えられています。遺伝の影響を受けない残りの部分が50%ですね。その中で、30%は家庭環境などの養育環境で左右されると言われるので、80%が本人の力ではどうにもならない部分で決まってしまいます。先生の教え方や本人の努力などで変えられる部分は20%ほどなんです」(同)
●遺伝子の99.9%は他人と同じ! 差異があるのはたった0.1%
そう聞くと、何をやっても無駄なのかと思ってしまいそうですが…。
「そうですよね(笑)。そう思われる方は多いです。ではここで、遺伝子全体についてちょっと見てみましょう。例えば、私と、地球の裏側に住むブラジル人の女の子を比べた時、実は99.9%のゲノム(全染色体)配列は全く同じで、たった0.1%しか違いがありません。
人とチンパンジーを比べても、全染色体で見た違いは1.23%のみです。アメーバと比べれば我々人間とチンパンジーもほとんど同じ。生物学の中からみたら、そんな数値感覚なんです」(同)
自分と他人の遺伝子が、たった0.1%しか違わないとは衝撃です…。
「顔を作っている遺伝子の成り立ちも圧倒的な部分が人類共通で、目が二つ、鼻が一つに、口が一つ…。それでもニュアンスが違ってくるのは0.1%の違いが成しているものなんです。同じように人間の心についても、圧倒的多くの遺伝子が同じであるために、歴史や文化の違いを越えた共通する感覚が存在します。
例えば、どの民族でも赤ちゃんを見たら守らなければと本能的に思いますよね。そういった民族を超えて共通する感覚があるんです。人間の遺伝子は、圧倒的に同じ99.9%の『地』の中に、0.1%の個人差を作る『図』の部分が埋め込まれている、そういったバランスで出来ているのです」(同)
●遺伝影響が大きいとすると、何をしても意味がないの…?
そんなにも同じ人間ですが、一人一人はこんなにも違ってくるのですね。
難しい話のように思えてきましたが…。50%が遺伝的要因で、30%が養育環境で説明されるとすると、我々は「学ぶ」ということにどんな意味を求めたらいいのでしょうか?
「この遺伝影響の話をすると、よく『20%しか自分の力で変えられる余地がないならば、努力しても無駄なんじゃないか』と言われますが、私は、そんなことは全くありませんと断言します。
まず前提として、遺伝的素養がさまざまな場面に出るとしても、知識自体は学ばなければ身につけることはできません。何の学習もせず、本能で英語がペラペラ…ということはあり得ませんよね。また、社会から求められるものはそれぞれの時代や環境で違ってくるため、ある遺伝的素養がどこででも普遍的に優れている、と言い切れるものではない、これはわかりますよね。
その上で、学びの意味について考えてみましょう。例えば『言葉』だけを考えても、私たちの社会で使われている多様な言葉の、何を・どの程度まで理解しているかで、その人自身の生き方が変わってきます。世界の捉え方が変わってくるというのでしょうか。
法律にしたって、普段の生活では法律を知らずとも生活できると思うかもしれませんが、その読み解き方を知っていたら、お子さんが社会に出た時に不当な搾取をされずに済むかもしれません。『学び』や『学習』というのは、本来は生きるために必要な、一人一人にとって異なる知識を、適切な場面で使うために行うものではないかと思います」(同)
生きるために必要な知識を学習することが「学び」だと考えると、遺伝云々を抜きにして、保護者も学びに対して向き合い方を変えられるかもしれませんね。
次回はなぜ人は学び続けるべきなのか、苦手に出会ったらどうしたらいいのかを、引き続き安藤先生に伺います。
(取材・執筆:代 麻理子)