親野 智可等(おやの ちから)
1958年生まれ。本名 杉山 桂一。
公立小学校で23年間教師を務め、退職後は、全国各地のPTAや市町村の教育講演、本の執筆に精力的に取り組んでいる。
メールマガジン「親力で決まる子供の将来」(http://www.oyaryoku.jp/)は新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど各メディアで絶賛され、教育系メルマガとしては最大規模を誇る。
著書多数。
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生活・しつけ
小学1年生 2015年4月13日の記事
●私は叱ってばかりの先生だった
私は小学校の先生を23年間やりましたが、はじめの10年間と後の13年間ではかなりやり方が違っていたと思います。
ひと言で言って、はじめの10年間は叱ることが多かったです。
こういう教育をしたい、子どもたちをこう変えたい、こういうクラスにしたい、などの思いが強すぎて空回りばかりしていました。
決められたことがきちんとできる子、責任を果たせる子、目標に向かって自らがんばれる子、友達と協力して取り組める子、そして自分たちで授業を進められるクラス、行事などには自主的に取り組めるクラス、などと理想を描いていました。
でも、こちらの思うとおりにいくはずがなく、自然と叱ることが多くなりました。
「また○○してない。何度言ったらできるの? ちゃんとやらなきゃダメでしょ」。
「他のクラスは自主的に運動会の練習してるよ。あなたたちは何をしてるんですか? 口ばっかりじゃないですか」。
こういう感じです。
●叱りすぎて学級崩壊に至る
そして、とうとうあるとき学級崩壊に至りました。その年は、特にたくさん叱っていたからです。
というのも、私のクラスの両隣の2人の先生がとても優秀な先生たちで、クラスの子どもたちもしっかりしているように見えて、私は焦ってしまったのです。
がんがん叱り続けていたら、たしか2学期の運動会が終わる頃からだったと思いますが、子どもたちがよそよそしくなってきました。
子どもたちから話しかけてこなくなりましたし、いろいろ指示を出しても聞かなくなりました。
それで、ますます焦ってよけいに叱ることが増えました。すると、さらに子どもたちの心は離れていきました。
それで、「○○しないと□□だぞ」という罰で動かそうとしました。これで、またさらに子どもたちの心は離れていきました。
完全な悪循環です。
●教室にいても針のむしろ
3学期になると、子どもたちは全然言うことを聞かなくなりました。
私と子どもたちとの信頼関係はまったくなくなり、人間関係の崩壊状態、つまり学級崩壊です。
こうなると本当に辛いです。教室にいても針のむしろです。
子どもたちも辛かったと思います。このとき、子どもたちは次のように感じていたと思います。
「先生は私たちのことをダメな子どもたちだと思っている」
「先生はぼくたちを嫌っている」
「自分たちのクラスはダメなクラスなんだ」
こう感じている子どもたちが、私の言うことなど聞くはずがありません。もう何を言っても聞く耳を持ちませんでした。
私は毎朝起きるのが苦痛でした。
学校に行くのも苦痛でした。
教室に向かう足取りは鉛のように重かったです。
(次回に続きます)
親野 智可等(おやの ちから)
1958年生まれ。本名 杉山 桂一。
公立小学校で23年間教師を務め、退職後は、全国各地のPTAや市町村の教育講演、本の執筆に精力的に取り組んでいる。
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